希死念慮、自傷行為、不安の総和

以下、リストカットについての考察


・うちの相方はリストカット癖がある。正確に言うと、あった。今も衝動がたびたび襲うようだ。

・うちの相方に限っていうと、リストカットにも二種類あるように見受けられる。

1、嗜癖、いわゆる依存症としてのもの
2、希死念慮(自殺衝動)が抑えきれないほどに高まったときに、ガス抜きとして行う『小さな自殺*1』としてのもの

1、について。自傷癖という言葉がさすのはこちらであろうと思う。高ぶった感情を抑えるために行い、通常その効果は2〜3日持続するが、その後繰り返すという傾向がみられる。
 高ぶった感情というのは大抵、不安・焦燥感・自罰感情であるが、躁状態で「楽しさのあまり」おこなうということもある。こちらは随分前から治まっているように見受けられる。


2、について。鬱状態のど真ん中や、不安発作時に、(考え方の)視野狭窄の状態に陥り、自殺を「しなくてはならない」という強迫観念に駆られることがある。その最中に自殺の唯一の代替案として、狭窄した視野に浮上してくるのがリストカットしかなかった、という事案が過去にあった。 1であげた嗜癖としてのものと違って、切ることによる快感などはないが、丁度張り詰めた風船が破裂しそうなところを、栓を緩めてガス抜きするように自殺衝動が落ち着くという。



・こういったことに関して、相方の主治医は「リストカットというものは『良い悪い』の問題じゃない」という。「PTSDやそれに近いものを持っている人にはよくみられることであって、それが確かに落ち着きをもたらすという効用を持つ以上、リストカットを悪いことだと否定することはできない」というのである。

自傷癖で悩んでいるものにとっては、医師からこう言われるだけで救われた気持ちになる者も居るだろう。そして大事なことは

自傷行為自体を責めたてたり、悪い事だと禁止したりしても、精神的に追い詰めるだけでかえって自傷癖を悪化させたり、より悪い傾向(他の症状の悪化や、自殺)を引き起こすことがある

・ただ、自傷はずっと続けられるものではない(腕は二本しかない)ので、自傷に代わる他の「ガス抜き」の方法を探していくのが賢明である

と、その医者はいった。


・自分ではうまく対処できない感情であるからこそ、覚えてしまったリストカットという非常手段でどうにか対処して来たものを、そういったガス抜きの手段を無理やり封じてしまえば、うまく対処できない感情が蓄積してしまう。その種の感情が時間と共に減少するとは限らず、その総和が耐えられる限界を超えてしまったときに、自殺の実施という悪いステップアップをしてしまう可能性がある。

・大事なのは自傷をガマンしたり無理やり止めるということではなくて、代替手段を確立すること。それに尽きるようだ。その上で、これまでに構築された「耐えられない感情→自傷」という条件付けを脱感作していく。「耐えられない感情→深呼吸・瞑想→それでもダメなら鎮静作用のある薬」といった具合にである。


・それとは別に、自傷行為PTSD、とりわけ生育環境における虐待行為には強い相関関係がある*2。私が「もしかして」と思うのは、『自傷行為=虐待の再現』という図式が成立するのではないか、ということ。

ここから先は確たる証拠がないので、疑いながら読んで欲しい。

・狭義のDVや虐待は世代間連鎖が起こり易いと聞く。これに関してはちゃんとしたエビデンスがないので迂闊なことはいえない。けれど、仮にそれが正しいとしたら、暴力の連鎖が他人ではなく、自分自身に向いてしまう可能性もあるのではないだろうか。

重度のリストカッターの場合、近親姦が過去にあったことが多い。この場合、自分がやっていることと自分のされていることとの区別がつかなくなり、自分を痛めつけることをそのまま愛情として認識してしまうほかなくなってしまうことが多いとされる。(中略)また、子供に対するセクハラ行為でも心理的に似たような苦痛を受ける。そして、本人にとって重要な点はそれが「秘密にしておかなくてはならない行為である」ということである。

引用元wikipedia「自傷行為」

・残念ながら引用元のウィキペデイアにエビデンスは明示されていないし、参考文献とされるものはすべて非医学書である。学術的信憑性は全くない。 けれど、実際にリストカットを経験したり、それで悩む者を傍でずっと見てきたものからすると、信用するに足る記述である。



・いつ近親者による理由のない暴力にさらされるかと常に気を張って、不安にさいなまれる。その一方で、これはDVや虐待といった行為の特長なのであるが、ひとたび暴力の嵐が吹き荒れると、その後しばらくは優しくなる等、平穏が訪れるのである。

・そのサイクルにさらされて長い時間を過ごしてきた人間が、その脅威からようやく解放されてもなお、近親者の暴力を内面化して自身の身に自傷という暴力を振るう。暴力の後に訪れるはずの平穏を求めて。私には自傷行為がそんな構図に見えるのである。



・あえて自傷行為が悪い行為であるとするなら、それは自傷行為が、自身の身を傷つける暴力を自ら行うことで、かつて自分が受けたであろう暴力を無意識レベルで肯定してしまっているというその一点においてである。ゆえに、自傷行為によってしか対処できない種類の感情が湧き起った際には、他の暴力によらない手段で解決する方法を模索し、確立する必要がある。他者が無理やり感情をねじ伏せるという行為もまた暴力的である。ねじ伏せず、傷付けず、サンドバッグを殴るでもなく、暴力的な解決法を唾棄することが、治療でもあるし、心に巣食っているかつての加害者を葬り去るために必要な方法なのではあるまいか。


・また、・ここ精神科医が立てている仮説と同じように、相方は実感として「抑鬱の高まりの結果といったものではない、喜怒哀楽のような確立された感情と並列して、『希死念慮』が確かに存在し続けているように感じる」という。これに関してどう対処して行くか。自尊感情をどう高めて行くのかが今後の課題である。



・追記:

 なぜ希死念慮や自殺企図がリストカットでおさまるのか、という話を相方としていて至った仮説。
素人がエビデンスもなく全くの憶測で語っていることをご承知置きください。

希死念慮が高まった状態では、たぶん、不安時に出るであろう神経伝達物質(例えばノルアドレナリン)が大量に脳内で分泌されているのではないか

・それが、リストカットをする時点で、さらに多く分泌され、不安は頂点に達する。

・切ったその瞬間、緊張と興奮の高まりによってアドレナリンが分泌される(ノルアドレナリンはアドレナリンの前駆物質?)。

・切り終わることによって、それらの分泌が収束に向かうのか、それとも大量に出すぎたそれらの興奮物質に対する何らかの打消し作用が働くのか、いずれにしても交感神経優位の状態から副交感神経優位の状態に切り替わる(いわゆる「揺り戻し」)。

・気持ちが落ち着く。アドレナリンが出尽くしたときの身体症状と同じように、眠くなることもある。


戦場における「人殺し」の心理学や、「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズムグロスマンその他が記述している、戦場における兵士の身体状態の変化と全く一致する脳内の動きが、リストカット時に起こっているのではないか、そういう仮説に至ったのです。


・もしかすると、副交感神経優位の状態に切り替わる、その落ち着きを取り戻す瞬間に何らかの快楽物質(α‐エンドルフィンとか)が出てしまい、そのせいで嗜癖としてリストカットを反復するようになってしまうのかも、とも思います。全くの憶測ですが。