報道を自分の頭でとらえなおしてみるテスト

◆よくある新聞なんかの記事はこういうパターンで書かれます

1、一般的に知られた事象を書く(主題の提示)
      ↓
2、主題に新たな情報を付け加える、または驚くべき新展開を加える(取材による独自情報の付加)
      ↓
3、それに対する新たな動きを書く。または一見別の事象に思える事柄をあげ、それが実は主題と関係があることを論じあげる(展開部)
      ↓
4、新たな動きに対して、記者の(あるいは会社としての)好悪を記す(主題を評価する)

 

たとえばこの記事で言うと

読売オンライン『海外メディア一部撤退、「日本は大丈夫」の声も』
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110316-OYT1T00840.htm
  
1、主題:海外メディアでは、原発の事態悪化につれて、悲観論が目立ってきた。
     ↓
2、情報の付加:ワシントンポストやロイターが、原発に関して日本政府の対応はあきらめムードだと書いている。
     ↓
3、新たな動き:一部の海外報道機関に、記者を日本から引き揚げる動きが出てきた。
 引用:取材陣の引き揚げを決めたイスラエルのテレビ局は本紙に、「現時点で危険はないが、今後、危険が増す可能性があるとの専門家の助言に従った」と語った。
     ↓
4、好悪の記述:APF通信の静観の動きや、ロシア通信の「まだ大丈夫だと信じている」という言葉を用い、読者に安心感を伝える記事としてまとめる。
 

 


◆ところで、この記事の4と3を入れ替えて、好悪の判断を逆にしてみるとどうなるでしょう。

1、主題:海外メディアでは、原発の事態悪化につれて、悲観論が目立ってきた。
     ↓
2、情報の付加:ワシントンポストやロイターが、原発に関して日本政府の対応はあきらめムードだと書いている。
     ↓
3、新たな動き:APF通信の静観の動きや、ロシア通信の「まだ大丈夫だと信じている」という言葉を用いる。
     ↓
4、好悪の記述:一部の海外報道機関に、記者を日本から引き揚げる動きが出てきた。
 引用:取材陣の引き揚げを決めたイスラエルのテレビ局は本紙に、「現時点で危険はないが、今後、危険が増す可能性があるとの専門家の助言に従った」と語った
 これをもって、関東は現在、非常に危険な状態にあるとのではないかという不安感をかき立てる記事にまとめる


あれれー。おんなじ記事なのに、結論が正反対になっても記事が成立しちゃう! ふしぎ!

自分の頭で考えるのって難しいなあー
 
 

◆ここからまじめな話。

◆日本でこんな大災害が起こっているさなか、別に海外メディアの一社や二社出て行ったところで、気にとめる必要などないと私は思うのです。仮に私のこういったの感覚が正しいなら、何故大手メディアがこんなちっぽけな話題をわざわざ取り上げたのか。文脈を読んでみましょう。

◆本当に福島の原発が、政府や原子力安全・保安院の言うとおりに安全な状況であれば、こんな記事をわざわざ書いたでしょうか。

◆ではなんのために? 読売につとめる人たちが東京を離れる際のエクスキューズのために? あるいはマスコミ各社の家族を西に避難させるようにという隠れたメッセージ?
 

◆上の記述では引用しませんでしたが、引用もとの記事にはこういう一文も書かれていました。

 在京外国公館では、オーストリア大使館が16日、業務を大阪の総領事館に一時移転した。ロシア外務省は16日、在日露大使館などで勤務する外交官の家族を、18日をめどに日本から一時退避させる方針を決めた。

◆ひょっとすると、おおっぴらには書けないけれども、なんとか今は非常に危険であるということを情報統制の目を盗んで読者に伝えたかったのかもしれません。
 
 

 このブログはごく親しい友人しか見ていないからこういうことを書くんですが、出来るのであれば関東以北の方は西へしばらく疎開してください。
 何もなければ、それに越したことはないし、ちょっとした観光ってことにすればいい。何かあったときにも、少しでも東京や茨城等、事態が拡大した際に被害が及ぶ地域の人口が減っていれば避難誘導もしやすくなるし、避難民の宿営地の確保も食糧の確保もやりやすくなる。そう思えば疎開に公共性のある意味づけも出来ます。

 


 ◆危機感や不安を煽ることはしたくないし、私は誰かをここに呼び寄せて助けることが出来る余力も持っていない。きっと無責任な発言に見えることでしょう。 でも、書かずには居られなかったんです。書かないで万一のことがあったときの後悔に比べたら、無責任だデマゴーグだと批判されてする後悔の方がまだましだと、丸一日悩んでこのエントリを書きました。

◆私が本エントリを書く踏ん切りがついたのは、以下の4点に思い至ったからです。


1,保安院が、爆発後の原子炉建屋の外観写真を公開したのに、内部の写真は一切公開しなかったこと。
  →写真を見せて解説することで、まだ原発が大丈夫であると印象づけることに何度か成功しているのにそれでもなお内部の写真を見せないのが不可解である。→つまり、内部が写真撮影に近づくのが困難なほど汚染が酷いのか、あるいは、写真にうまく写せないほど(フィルムが感光するほど)放射線量がおおいのではないかという憶測(いわゆる「象の足」を撮影したときの写真のような状態)
2,米軍が無人偵察機グローバルホークを用いて内部の撮影を17日にも行うという決定をきいて。
  →陸自にも無人偵察用のラジコンヘリがあるのに何故? →つまり航空機と比べて除染が難しい(エンジン部が露出している)ラジコンヘリでは回収が困難なほどに内部の汚染が酷いのではという憶測
3,BBCやNYtimes、あるいは米PBSのような海外サイトで報じられる記事と日本国内の報道には決定的な温度差があって、たとえば原発内部の作業員の写真や、被曝した方をヘリで運び出した写真や原発20km圏内の様子を映した写真が日本で公開されるよりもずっと早くアップされていたり、国内のNHK放送と海外向けのNHKWORLDでは事態の説明の細かさわかりやすさが違ったり、とくにPBSでは事態が相当深刻である旨が報道されていたりと、一言で言うならもう日本のマスコミの報道は話半分にしか聞けない、自分で判断しないと危ない、そう判断するに至ったこと
4,原子炉建屋の4階に使用済核燃料プールがあることを、政府も安全院も東電も1号炉建屋上層が吹き飛んだ時点で一切説明しなかったこと。とにかく隠し事が多くて、公式の発表は何も信じられなくなってしまったっこと

 
 

◆とはいえ、このエントリはきっと杞憂で終わる。そう信じてます。原発では職員の方や自衛官の方や消防の方、報道によると今日のうちには警察の方も加わって、事態の収拾にあたっておられます。比喩ではなく本当の命がけで。だからきっとこれ以上の事態の悪化はないと信じてます。もう感謝とか、無事を祈っていますとか、そんな言葉では表せないくらいの思いでいっぱいです。

◆今日より明日が、少しでも良い日になりますように。