食べられる、という幸せ
・日清の『どん兵衛』の広告スタンドが渋谷駅に出来た*1という話をどこかのサイトで見たときのことだった。
どこのサイトだったのか今探しても見つからなかったけれど、たしか著者は「さすがにどん兵衛一杯では量が足りないが……」といった記述をしていた。
「そうか、普通の人はカップ麺一杯では足りないのか……」
僕はそういう感想を抱いたのをはっきりと記憶している。
どん兵衛一杯でおおよそ400kcal。吉野家の牛丼が660kcalで、特盛りなら900kcalくらい*2。確かに足りないのかも知れない。
けれど僕は、カップ麺一杯で充分に満足感が得られる。たしかに「お腹が一杯で苦しい」と言うほどにはならないが、もの足りないと思うことはないし、少なくとも「カップ麺+コンビニ弁当」といった食事は量が多すぎて食べきれない。
消化吸収という行為は意外に人体にとって負担になる、という話を聞いたことがある。してみると、僕の身体の弱さの、一つの現れであるのかも知れない。
・より少ない食事で生きていけるんだから、燃費が良いと言うこともできるのかも知れない。普通の人を普通自動車にたとえるなら、僕は軽自動車、いや、原付のようなものなのかも知れない。
大学まではそれでもどうにかやってきた。学校という限られた小さな世界は、敷地内を車で走るようなもの。丁度、自動車教習所のようなものかも知れない。普通自動車と原付が併走することは十分可能だし、場合によっては原付の小回りがきく性質を活かして、自動車を出し抜くことも可能だった。
・就職活動は、実際に働く行為それ自体より難しいなんていうことも聞くけれど、私には比較のしようがない。しかし、それが本当なら、それもまた車にたとえられるかも知れない。
高速道路を自動車で走ること自体は、気を抜きさえしなければそれほど難しいことでもなく、高度なテクニックが要求される場面もそれほどない。*3高速道路への合流はときに大変に難しい。そういうことではなかろうか。
僕は高速道路へ、自分が普通乗用車だと思い込んで合流しようとした原付のようなものだった。うまく合流できないうちに大学院へ流れ着いたけれど、そこで初めて社会に出て行った過去の友人達の姿を見て、彼我の出力の差に圧倒された。
彼らは本当にパワフルで、活動的だった。会社社会でうまくいっている友人ほど、一時もぼんやりしたりすることなく頭を廻し、動き、そして何より、ものを良く食べた。 僕の1日分くらいの量を一食で食べてしまう猛者もいる。 ガッツリ食べてビシバシ働く。普通乗用車どころかアメ車のようだった。
中には、ストレスが溜まると食べることで発散するという友人もいる。うちの相方もそういう傾向があったが、それが僕には信じられなかった。 僕は、ストレスがかかると、食事を胃が受け付けなくなってしまう。それではやっていけない。
・大学3回生のときに、インターンシップに参加したことがあった。たった1週間の、研修と簡単なお手伝い程度の内容でしかなかったが、当時の日記を読む限り、殆ど食事がとれなかったようだ。 当時はまだ酒を飲めていたので、毎晩帰宅後のアルコールのカロリーだけで乗り切っていたようだ。*4
・原付で高速を走るにはどうすればよいか。気筒数を増やすか、ボアアップしかない*5。
ライフハック的なテクニックの体得から肉体改造まで、やれることは一通りやってみたけれど、できあがったのは、ちょっとだけパワフルな、それでも自動車には遠く及ばない原付ができあがっただけだった。加えて、燃費は悪くなった。 食べる量を増やすことに一時は成功したが、それほどパワフルにはならなかったし、精神的なタフさはもう一つ。胃のストレス耐性の無さは変わらず。 今はもう、そういった努力は半ば放棄してしまった。
・出来ないのなら、受け入れるしかない。そういうことだろう。 原付には原付なりの利点があり、特技があり、それを生かせる場所がある。 無理に自動車と肩を並べるのではなく、そういう場所を探そうと思う。