二つの否認

アルコール依存症者は、必ず2つの否認をする

1、自分は、アル中ではない。
2、自分は、酒さえ飲まなければ何の問題もない。

ある程度の治療を行えば、1の否認はすぐに認めるようになる。けれど、2の否認は、なかなか受け入れられないものだ。しかし、アルコール依存の真の問題は、飲んでいないときにこそ潜んでいる。

◆酒無しでは生きていけない素面の自分。それこそが真の原因であって、そこをどうにかしなければ、幾ら酒をっ断っても、躓いたままで、起き上がったことにはならない。



◆私は、人との距離のとり方がわからない。人と接することに恐怖すら覚えることもある。先の日記で、大人数の宴席が苦手だと書いたけれど、人と接すること自体がそもそも苦手なのだ。

◆ところが酒で酔ってしまえば、沈黙も苦にならない。他人に恐怖を感じない。饒舌になって、冗談の一つも飛ばせるようになる。距離の取り方がわからないということに苦痛を感じなくなる。他人に対する恐怖を麻痺させることで、自分が社交的人間であるとすら錯覚できる。私にとって酒は、人と接するうえでなくてはならない潤滑油であり、ガソリンだった。

◆私は酒を飲みすぎてアル中になったのではない。アル中になるほど飲まなければ、生きていけなかったのだ。酒の酔いという薄皮を一つ隔てた、ぼんやりとした距離感がなくては安心して人付き合いも出来ない、そんな弱い人間が私なのだ。私はアルコールに対して無力なのではない。アルコールに頼らなければ生きられないほどに、生きることに無力なのだ。

◆生きることが苦しくて。そんな無力な自分が嫌いで、自ら傷つける。そうまでしなくてはならないのですか。そうまでして生きて行かなくてはならないのですか。私達は皆、この世に生まれ出でた瞬間に、最後は死に至るという死亡宣告をされた不治の病の患者なのに。