あの日はかえらない

■部屋にあった全ての酒を処分した。机の引出しも、本棚の裏も、隠してあった全ての酒を探し出して。自分でもその存在を忘れていたものが何本か出てきて驚いた。これらすべてが、もう、私の人生には必要の無い物になったのだ。

■その全て(大半は中身が半分以下だった。)を流しに棄てる。立ち昇る芳香に、かつて飲み歩いた日々や、バーの数々や、杯を酌み交わした人間の思い出が走馬灯のように駆け巡る。最近はスコッチばかり飲んでいたので、瓶の底にわずかばかり残ったバーボンを棄てる時に、香りをかいで「ああ、最後になると判っていたなら、バーボンも一杯くらい飲んでおけばよかった」などと未練な思いに捕らわれる。

■最後はヘネシーV.S.O.P.のミニチュアボトルだった。思えば高校生の時、初めて自分で飲もうと思って買った酒がこれだった。ほんのりと甘く、それでいて強烈なアルコールのパンチを放ってくるコニャックの魅力に魅せられたものだった。その後、家のキッチンに料理用に置いてあった、カミュのV.S.O.P.をこっそりラッパ飲みした時には烈しくむせたのを覚えている。

■あの頃は酒をひとくち飲むだけで冒険だった。自分の酒量が判らず、かと言って酔っ払って飲酒がばれても困るので、少しずつ増やしていった。それでも飲み方はロックかストレートだった。格好をつけていただけだった。

■自分の小遣いではとてもコニャックなど買い続けられないので、せめて少しでも高級そうな物をとジョニー・ウォーカー黒ラベルを買い、ミニチュアボトルに詰めて持ち歩き、学校でもこっそりと飲んだ。フォア・ローゼスやアーリー・タイムズなどバーボンも飲んでみた。学校帰りに河川敷のお気に入りの場所で、ミニチュアボトルを傾けながら夕陽が沈んで行くのを眺めるのが好きだった。

■背伸びをしていたのだと思う。自分は周りの愚にもつかないような同輩とは違うのだ。大人の味を知っているのだ、と。ハードボイルド小説の真似事をしてきつい酒ばかり好んで飲んだ。

■今から思えば、飲みはじめから私は酒の飲み方を間違っていたのだ。憂さを晴らすための薬物として利用していたからだ。