まなざしとベンゾジアゼピンとアルコールと

ぜくうさんとお会いする予定が、体調不良によりキャンセルしてしまった。だから今日は重たい自分語りをしますよー。チラシの裏を落書きで満たします。

◆昨晩全く眠れなかったのである。いや、時折眠るのだが、寝坊する夢や体調不良の夢、隣で眠っているはずの相方と起きて会話している夢をみて、15分おきくらいに目覚めてしまうのである。夢というよりも白日夢に近い感じであった。

◆結局大して眠れぬままに朝を迎えた。私は睡眠不足時に大層調子が悪くなるので、外出して何かを成すのは難しいので、予定を延期させていただきました。

◆そして相方から分けて貰ったレキソたんを半分に割って服用。20分くらいで胃の不快感が嘘のように静まって、呼吸も整い、遅れて眠気がやってくる。BZPすげー。

◆私を度々襲う不安感の正体は一体何だろう。いろいろと過去の事実を掘り下げていって、ようやく一端を掴んだのでメモ。

(忙しい人は、「続きを読む」以下の中段に模式図が、最後段にまとめがありますので、そこだけ読んでライフハックして下さい)




◆そもそも私のパーソナリティは、DSMでの合致度合いでいえば社会不安障害あたりが(強度的には低いとはいえ)ドンピシャだなあと思うし、回避性人格障害あたりにも思い当たる節がかなりある。外に出ることが怖いということは特にない。けれど、余程回数を重ねて慣れた人としか落ちついて食事が出来ないあたりは社会不安障害の症状に該当するのだろう。

◆外出時に何か怖いことがあるとするならば、胃腸の弱さからくる、いわゆる過敏性腸症候群からくる腹痛や下痢、あとは嘔吐恐怖症。慣れない人とメシを食うのが苦手なところの大部分は嘔吐恐怖から来ているように感じる。

◆もともと幼児期から中学あたりまで、かなり長いこと自家中毒(周期性嘔吐症)を患っていて、大学時代にも一度症状が出たことがある。

◆考えて欲しい。学校のような衆人環視の中で、突然の吐き気に襲われることを何度も経験した*1人間が、街中で突如吐き気を僅かながらでも感じたときに、「ああ、でも大丈夫」とやり過ごせるだろうか。いや、容易ではない。(反語表現)


◆自分は人に、よく「いやあ、胃腸が弱くて」なんて言うけれど、そして実際に腸はかなりゆるいけれども、実はさほど胃が弱い訳ではない。たっぷり眠って、朝、空腹で目覚めたときには、いきなりカップ麺を食べることもあるし、そういうときは朝からステーキとか平気(むしろ歓迎)だ。それでも胃の容量は少ない方ではあるが。

◆それが睡眠不足だと、極端に胃の能力が低下して全く食欲はないし、少しでも許容範囲を超えて食べると、たちまちムカツキが襲ってくる。おそらく胃そのものよりも、自律神経系あるいは副交感神経系が弱いのだろう。そうすると私の戦う相手は、睡眠不足から来る種々の能力不足に加えて、嘔吐恐怖との戦いもはじまる。

◆しかも、睡眠不足でも出掛けないといけないというのは、ほとんどの場合先方あっての話になる。したがって、その先方とは睡眠不足で回らぬ頭をフル回転させながら、なおかつ嘔吐の恐怖をなだめて、食事もうまく摂れないからエネルギーも足りていないというろくでもない状態で向かい合う羽目になる。これでは人と会うことを好きになれる道理がないではないか。そしてそこから「鶏が先か、卵が先か」のループに陥るのである。以下に概略を示す。

・外で人と会うことへの緊張感から来る入眠困難、不眠 ←   ←   ←   ←

  ↓

・睡眠不足時に起こる胃の不快感                           ↑

  ↓

・少年期に自家中毒症で培った、僅かな吐き気にも怯える嘔吐恐怖症       ↑

  ↓

・人と会っている間中、吐き気から気を逸らそうとして落ち着かない         ↑

  ↓

・吐いたりしやしないかという恐怖でますます気持ち悪くなる(会食は地獄絵図) ↑

  ↓ 

・もう外で人と会うのが苦痛。 →   →   →   →   →   →     ↑

・こんな無限ループに陥っていることがあるかもなあ、と思った次第。回数を重ねて慣れてくると、「大丈夫だ」と思えるようになってくるのが不思議。認知療法的なものなのかも知れない。


ベンゾジアゼピンをそれこそ何年かぶりくらいに飲んでびっくりしたことは、胃や気持がすんなりと落ちついていく感覚が来るのと同時に、自分を苦しめている何かが消えていくのがはっきり分かるということであった。つまり、そのとき消えていく不快な感覚こそが自分を苦しめている物の正体という訳だ。

◆そのときにはっきりと薄らいでいった感覚は、「人は私をどう捉え、どう感じているのだろうか」*2という疑問、「今日一日、そして、これから先、どのように行動すれば自身の効用を最大化できるか(ちょっと大げさ)」というプランニングへの強迫観念めいたものであった。

◆「上手くやらなければ」「なんとか人から好かれるようにしなくては」という、価値基準が他人にシフトした状態が苦しみの原因であり、「吐いたらどうしよう」「吐き気が収まらないと困るなあ」という予期不安が追い打ちをかけているに違いない。


◆そしてBZPの怖いところ。各種の不安を取り除かれると、何事も回避する必要がなくなり、社会に受け入れられたような感覚を得る。これが実に気持ちよいのである。気持ちが落ちつくというよりも、「テンションが上がって」しまうのである。せっかくこんな感覚が得られるのなら、常用していれば無敵なのにと思ってしまうところに罠がある。

◆BZPはまだ効きがマイルドであるけれども、私の場合これがアルコールだと、てきめんに効くのである。数秒で、がつんと強烈に効く。そりゃやめられない訳である。

◆数年アルコールをやめているうちに、「これからなら節度を持って愉しく飲めるのかも知れない」といった思いがちらとよぎることもあるのだが、それほど強くないBZPですらこうなのである。アルコールなど推して知るべし。やはり私には扱いきれない劇薬なのである。

*1:教室にぶちまけたことも何度かあったように思う

*2:ラカンのいう「まなざし」かしら