←このカテゴリ恥ずかしいからもうやめたい

■ようやく修士論文の中間報告とゼミでの発表が終わって一息つけそうなごとうです。おはようございます。ウソつきました。これから眠ります。

■前々から書きたいと思っていた漫画の書評を今度こそ書こうと思いつつも、もう遅いのでまた後日に…

■なのでテキトーなことを書いてお茶を濁します。

相対主義には確固たる絶対性のようなものが内在します。なんのこっちゃ。多様性を重んじる姿勢、自分には良くわからない(理解しがたい)生活習慣や宗教に身を置く人にも寛容であるべきだ、という多文化主義的な姿勢は今やジャンルを問わずあちこちで見られます。

■とはいえ、他者に寛容を示さない偏狭な考え方に対しては、上記の立場は厳しい立場をとります。場合によっては迫害します。言論の自由のもとではいかなる言論の保持・表明も許されるが、言論の自由それ自体を脅かす言論は許されない、という「戦う民主主義」という思想が確かドイツ憲法に織り込まれていた気がします(大学で教わった気がする)。ともあれ、他人に自分の考えを押し付けたり、他人の違う考えを認めない、といった不寛容な立場を、寛容を主要テーマとする思想は弾き出します。「寛容」という絶対性を押し付ける側面が多文化主義には見え隠れします。もちろんすべての多文化主義、リベラルな思想がそうだと言うわけではありません。

■愛煙家はタバコを吸わない人とも同じ時間・場所を共有できるけど、嫌煙家はタバコを吸う人に敵対心をあらわにするよなあ、と、時折思ったりするわけです。

■わかってます、同列に論じられる問題じゃないことは。でもね、少しくらい言行一致したって(ry

■メシ食ってる奴の横でタバコ吸う奴は切り捨てられても文句は言えないかもしれません、ぐらいの逃げを打ってここは終わりに致しとうございます。お目汚し、失礼致しました。