過去から現在の「私」の連続性、アル中。

◆今日は久々にまじめな話。面白くないですよ。なので普通の人は下の写真でお楽しみください。
 
ハートがぐるりと


 私の住む市のマンホールは、興味を持って調べない限り把握しきれないほどの種類があるのですが、郷土の風景を描いたような特殊なものを除けばおおむね3種類ほどで、そのうちのひとつにはこんなハートの縁取りがなされています。(ちなみに当市はゴミ焼却施設の建設に伴う談合が明るみになり、先日市長が4期目をはじめたばかりで辞職。今月末選挙が実施されます。)

以下、本題。



◆弊ブログには過去ログが存在しております。生まれて初めてはてなダイアリーを使い始めたそのときからずっとログが残っています。私の状態別に分けるなら、「アルコール依存期(飲みながら書いていた)」「断酒黎明期(お酒をやめたてで不安定)」「安定期」「サボりがちな現在」の4つに区分できるかと思います。アルコールにどっぷりと浸かっていたときや、やめたての時期の日記を見るととても正気の沙汰とは思えず恥ずかしい限りですが、その当時の自分が現在の日記を見ても、きっと頭がおかしいんじゃないかと思ったでしょう。現在の状態がもっとも正しいと思い、それを正当化しようとするのが普通の人間ではないかと思います。これを日本では「盗人にも3分の理」と言います。

 まあそれゆえ過去ログをみる機会があるとそのたびに消し去ってしまいたい衝動に駆られるわけですが。それでも当時の日記に様々な励ましや助言のコメントをいただいている以上、勝手にデリートするなんてとてもできません。どう見ても正気の沙汰とは思えない内容のエントリにレスなどつけてくださった方々の寛容さと人間性には頭が下がります。ありがとうございます。
 
 

◆そんな常軌を逸した日記を書いた「私」も、現在の「私」と同じ人間です(少なくともそうみなされます)。いくら「あの時は頭がおかしかったんだ」と弁明したところで、その「おかしかった私」と「現在の私」は通常連続したものであり、OSやHDDが入れ替わったパソコンのようにはみなされません。たいていの場合、人間の「成長」は不可逆的なものと思われているので、「前はあんなやつだったけど、痛い目を見て少しは成長したみたいだから大丈夫だろう」などという言説も正当性を持つように思えたりします*1

 ところが、(肉体的でないという意味で)精神的な「成長」は、実は一種の変化に過ぎず、場合によってはすぐに成長前の段階に戻ったりします。鍛えるのをやめた途端に筋肉が漸減してゆくのと似ているかもしれません。少なくとも私の場合、以前のおかしな状態というのが、アルコールという外在する要因によって引き起こされたところが大なので*2、いくらそこから脱却できたように思えても、そういった内面的変化は外的要因の大津波に一息に押し流されるでしょう。つまり、アルコールが体内に入ればあっという間に逆戻りする可能性が極めて高いのです。
 
 

◆したがって、「過去の私」の恥ずかしい基地外日記は、過去のまったくの別人の記したものではなくて、ごくありふれた外的要因(アルコール)によって、明日からでも「現在の私」が書くことができるようになる性質のもの、と言えます。通例、大人の人格というと、安定していて持続的なものとされていますが、ことアルコールや薬物依存症者の場合、それを保持すべく不断の努力をしたうえで、依存対象物質の摂取をゼロにしたまま維持しないと、とてつもなく安定を欠いたものになります。というか、アルコールを摂取したアル中はもう人間じゃないですね*3
 
 

◆そんな事態に陥らないためにも、過去ログを書いていた頃の「私」と現在の「私」はあくまでも連続したものであると(鳥肌が立つくらい恥ずかしいですが)思い続けてなくてはなりません。何かのきっかけではじめて弊ブログをご覧になった方が過去ログを見て「なんじゃこりゃ」となったり、遠ざかっていったりすることもきっとあるでしょうけれど、それも仕方のないことなのかなあ、と思ったりする訳です。それでも、あまりにひどい内容のものはHDの中に移してしまって衆目にさらすべきではないのでは、という思いも時折頭をよぎります。どこで折り合いをつけてよいものか、サイドバーの過去ログの項目を見るたびに思い悩むのです。

*1:肉体的成長は不可逆的です。伸びた背は縮みません。ちなみに人間の体細胞は2年ほどですべて新しいものに入れ替わるそうですが、入れ替わる細胞はその前のもののコピーでしかありませんし、脳細胞は入れ替え不可なので、結局細胞が入れ替わっても同じ人です。というよりもむしろ、毎日毎日少しずつコピーと入れ替わっているから、歳をとると品質が劣化していくんでしょうか。

*2:実際のところ、酒を飲みすぎてアル中になったのではなくて、アル中になるくらい飲酒をしないと生きていけなかったというのが真実だと思います。

*3:一般的な意味での「依存」であれば、たとえば毎日晩酌をしないと生きていけない、といったものであれば、量をコントロールすることは可能でしょう。アルコール依存症の真の症候は、実は「コントロール障害」なのです。ゆえに一口でも飲んだらもう体が受け付けなくなっても飲もうとしますし、酒を断ってみてはじめてわかるのですが、感情、嗜癖、人によっては食事(いわゆる摂食障害ですね)や仕事といったことまで、「ほどほど」と言った加減が難しく、コントロールができなかったりします。そうしたコントロールを欠いた事象や感情が、はけ口を求めて飲酒に駆り立てたり、飲酒による酩酊がほかの物事のコントロールをより難しくしたりすることも頻繁に見られます。なので酒をやめたらそれで正常一般人に生まれ変われるということはなく、セルフコントロールの鍛錬が日々必要になったりします。AAとか断酒会といった自助グループへの参加による行動療法が一般的です。