何が私か

・朝起きる。晴天だとそれだけで気持ちが浮き立つ。曇天だとそれだけで気が滅入ったりする。

・花粉が飛ぶ。様々な症状が出て苦しむ。あまりの不快さに気が塞ぎ込む。何とか症状を抑えるべく薬を飲む。症状は落ち着く代わりに酷く眠くなる。口も渇いてくる。引くも進むも苦しみばかり。そうしてさらに気持が滅入る。
 
 

・そういった状態の下で人と会ったり話したりする。何か物事が起こったりする。そんなとき、平生ではとらないような不遜な態度をとったり、ときに苛立ったり、ともすれば投げやりな態度になってしまう。

・私の気持も、心の動きも、すべて私のもののはずなのに。その私の心が、私の気持が、逆に私自身を振り回す。そうして振り回された結果の行動を、平常心を取り戻してから振り返り、悔恨の念に貫かれる。そうしてまた気分が沈みこむ。また心に振り回される。

・では、いかなる感情にも情欲にも振り回されない私が出来上がったとして、それは果たして私であろうか。いや、正確を期するならば、それは果たして人間と呼べるものだろうか。

・つい数ヶ月前まで、私は感情に振り回されるのが厭で、そういったものを捨て去るか、全く振り回されないようになろうとしていた。機械の身体ではなく、機械の心を手に入れようとしていた。

・感情ではなく、利益のみを。自己利益の最大化と自己の生存可能性の最大化のみを考え、他は皆余計なものだと、そう思っていた。

・でも、ちょっと考えたらわかるけど、そんな生き方、楽しくない。

・そして、恋愛も出来ない。「人を好きになると言うのは、自然な感情の湧出だから」(by カウンセリングのセンセ)。

・そんな私でも、好きだと言ってくれる人が現れて。曲りなりにも恋愛をして。そうやって少しづつ感情を押さえ込まずに表出することが出来るようになってきて。

・けれどその分、他の感情まで押さえ込まずに表出させてしまうときが出てきて。

・その時々によって浮き立ったり沈み込んだりする感情を押さえ込まずに誰かにぶつけてしまえば、摩擦も生むし、時に傷つけもする。

・どこまで感情を表現して、どこまで理性で律するか。うまく折り合いをつけていけるようになりたい。成長したい。
 
・外は今、猛烈な雪。春の雪です。