For A Few Dollars More.

・「もし神が存在しないとしたら、彼を発明することが必要であろう」とはヴォルテールの言であるが、人間には ――とりわけ私のように弱い人間には―― 何か信じるものが必要なのだ。人間にはゆるぎない価値ある目標 ――その為に生き、そのために死ぬことが出来るような―― があるという嘘を信じなければ、われわれはただ寄る辺の無い孤独に生きなければならない。けれど今の私に、一体何が残されているだろうか。


はれた日は学校をやすんで (アクションコミックス)

はれた日は学校をやすんで (アクションコミックス)


 このコミックの、終盤付近に収録されている「ジョン」という犬をめぐる物語に、私はギリギリのところまで削ぎ落とした生の核心部分を見せつけられた様な気がした。

 この物語で、ジョンは少年に拾われて来、家で飼われることになるのだが、やがて年老いて病気を患い、苦痛と汚物にまみれて死んでゆく。終盤、体力の衰えで嘔吐すらままならないままに苦痛にもだえるジョンを見て少年は、「お前、もう死んだほうが楽なんかも知れんなあ」とつぶやく。そしてジョンの死を知ったとき、少年は不覚にも、哀惜の念と共に「ホッと」してしまうのである。

・われわれの生とは、究極のところ、このようなものなのではないか。いっそ死んでしまえば楽なのにと思いながら、それでも苦痛の中に生きつづける。

・次の世代のより良い生活の為?その次の世代はまたその次の世代の為に生き、死んでゆくのか?では誰が最後の幸福を手にするのか?そのように、未来の人間を人質にして今を生きるわれわれを脅し、何かを掠め取ることにいかなる正当な根拠が存在するのか。

・それではただ現在の刹那の快楽の為?無論、それで誤魔化すことは容易いし、多くの人間はそうやって生きてきた。未来に希望を託すことが出来なくなった人間にとって、ただ現在を生きるしか、生きようが無いのだ。けれど、生きるために食べるのではなく、食べる為だけにただ生きることに我々の精神は耐え得るだろうか。少なくともこの国に生きるものにとっては直感的に答えを出せる問題ではないように思う。

・それでも、生きなくてはいけない。理由は何でもいい。「あともう一握りのドルのために」でも。「愛する人のために」でも。

・今日はカウンセリングなので、上述のようなことを話そうと思います。