生きる

・カウンセリングに行って来ました。前回の心理テストの結果を言い渡されました。割りと普通でした。最後の「社会的な逸脱の傾向が示される」という単語以外は。

・来週のカウンセリング時に今日の感想をまとめて書いてきて呉れと言われたのでワードで書いてみました。全文を載せてみます。長いので興味がないひとはみないで下さい。

第1回カウンセリング報告書
於、A医院・相談室
28th.Jun.2005(17:05−18:10)

【全体の流れ】
心理検査の結果報告。それについての質疑応答。
・ カウンセリングの最終到達目標について相談をする。
・ 自己価値観の低さについての思い当たるふしについて話す。まず顕著に思い当たる部分を語った後、幼少期に遡り、時間軸に沿って思い当たることを話す。
・ 大学時代から抱き始めた希死念慮、とりわけ人生に自ら区切りをつけることであらゆる未来の心配事や苦悩から逃れていたことを話す。

【詳細】
心理検査所見について。
 自分で常々実感している部分もあったものの、あらためて気付かされた部分もあったが、納得しかねる部分もあった。私自身が「認めたくない」と思い「気づかぬ振りをしている」ところもあるのかも知れぬゆえ、今後のカウンセリングで所見について改めて検討しなおすべきと判断する。

・ カウンセリングの目標について
 最終的には「生きやすくなりたい」と表明するも、具体性を欠いた目標では治療も困難であるために、具体的中長期目標として以下を挙げ、合意に達する。

 重武装・重装備なしでの外出を可能にしてゆく(減感作療法の実施で合意)
 初対面の人間との面会時における過緊張、とりわけ摂食困難の解消
 自己価値観・自己評価の低さの解消(希死念慮/消え去りたい/生まれてこなければ良かったのに といった情動の逓減・解消)

・ カウンセリング内容
 研究の行き詰まりに関して。私が純粋に国際政治・政治倫理学について研究をしたくて院に進学したのではなくて、大学時代の「就労体験(インターンシップ)」で感じた、自身が実社会へ進むことへの畏怖/絶望(将来に対し希望を抱けない状態)からの逃避として大学院に進学したこと、つまり、「院進学=逃避」という意識が行き詰まりを起こしたり、研究への熱意を喪失させたりしているのではないかという提案を受ける。私自身もそれは薄々感じていたことであり、また、大学の卒業と同時に人生を終えるつもりでいた私が、生きる希望も目標もなく「何となく」院に進学した以上壁にぶつかるのは自明のことであり、この先生きてゆくことに対して前向きにならない限りはその壁は乗り越えられないだろうという思いも抱いた。

【所感】
・ 反省点
 まだ2回目の面談ということもあって緊張がほぐれず、思考したことを適切な言葉で表現することがいささか困難であった。ために、会話は何度か脱線し、時間軸に沿って話すはずが時系列を行ったり来たりしてしまう。またカウンセリング前に話す心算でいた重要な懸案を途中で思い出して話の流れが途切れたりもした。
 自分の思考がどれだけカウンセラ(S先生)に適切に伝わっているかという不安と疑念が付きまとった。同じ単語でも人によって受け取り方が異なる、といったことは常住起こりうることであり、誤解のないようなるべく平易な言葉遣いをしなければならないとは思いつつも、「その言葉」でしか表現し得ない感情もあり、その言葉をどこまで理解してもらえているか、あるいは伝わっていないのかを確かめながらの会話は神経が疲れる。
 また、S先生がご存知の単語であっても、その単語の同じ領域を同じ印象で理解されているとは限らず、したがって私が先生に「○○はご存知ですか」と伺った場合に、先生はご存知でも敢えて知らぬ風を装い、私がその言葉からどういった内面の感情を引き出すかを観察されているのやも知れぬ、と思うときがある。そういったカウンセリング本来の目的とは異なる部分に注意を割くことで帰って治療が遅れてしまうのではないか、と危惧するものである。
 
・ 言い残した件
「アルバイトから飲酒へ」/「妄想世界への逃避とその限界」/「列車で遭遇した暴力事件」

以上