銀の7号

・Pinkie:(1)ちっちゃなもの。《特に》小指。(2)<俗>Pinkerton探偵社の探偵。

・古い言い伝えによれば、幸福は右手の小指から身体に入り、左手の小指から出て行くんだそうです。その幸せを体内にとどめるという意味をもった指環をピンキー・リングと言うんだそうです。

・たしか映画『ゴッドファーザー Part3』でアル・パチーノがしていたような記憶があります。ネットで検索してみると、かのJFKペ・ヨンジュンブラッド・ピットなども着けていたとかいないとか。(敬称略)

・まあ、とにかく小指ならばそれほど目立たないし邪魔にもならないだろうし、なにより幸運をとどめるといういわれが縁起ものというかお守りとしても良いのではないか、そう思い、以前から着けてみたいなあ、などと思っていたのですが、なかなか踏ん切りがつかずに今まで生きてきました。


・まあ、ここからはよくある話で。

・出会い系で出会った女性やメル友などと実際にオフラインで会って話をしたら、散々いろんな話をした揚句に、「実わぁ、あたしぃ、ジュエリーのデザイナーのたまご?みたいなことやっててぇ。」と切り出して、

 「展示会に自分の作品を出展させてもらってる。」→「それが売れないと次の展示会の出展の権利を喪失する約束になっている」→「ちがうの、買って欲しいとかそんなんじゃなくってぇー。」→「あとでお金はちゃんと返すから、取り敢えず展示会場で、形式だけ買ったことにして欲しい。」→(中略)→「コワイお兄さん」→そして「爾後通信ヲ途絶ス。玉砕セル事を認ム。」

・などという恐くてお馬鹿な話は良く耳にします。


・そして本題。

・近所の友人と晩餐の約束をしたもののそれまで時間がポッカリと空いてしまったので、ショッピングモールで靴磨き関係のものを物色したりポケットチーフを買ったりしてをったのです。そのとき、ふと、なぜかピンキーリングのことが気になりだして、五大陸やら23区やらGAPやらコムサ・イズムやら覗いたのですが全く見つからず(今から思えば当たり前の話なんですが。)、宝飾店に入るほどのカネも度胸もなく、仕方なくぶらぶらと店内を怪しまれない様に早歩きで徘徊しているうちに、シルバーアクセのちっちゃな店舗に入っていました。

・そこでフッと目が合った店員が、昔、本屋でバイトしていた時の同期の方でした。背中に45口径を突き付けられた人間のように、心拍数は上がり、イヤな汗が噴き出してきた。きっと顔色も一気に蒼ざめたに違いない。

・本屋・・・バイト・・・酒を飲んで出勤したこと・・・勤務中何度もトイレに行ってはジンやウオツカをあおったこと・・・そして口をゆすぎ、エチケット用のマウス・スプレーを何度も吹き付けて何食わぬ顔で勤務に戻ったこと・・・勤務するたびごとに酒量が増えていったこと・・・仕事をするのに必要な酩酊に至るための、アルコールの多過ぎと少な過ぎの境界線がどんどん細く薄くなっていったこと・・・退職願に押した血判・・・そして実際は皆が気付いていながら見て見ぬ振りをして居ただけだと知らされたときのこと・・・

・それらの苦く苦しく、そしてなにより恥かしい思い出が一瞬のうちに脳内を駆け巡る。人生の恥部を知る生き証人。まぶしいときのような表情で再会を喜び懐かしがる彼女の名前はあの夏の日とともに忘れたでしょう仮に花森ケイ子さんとでもしておきます。


・花森さんはとてつもなく仕事の出来る有能な人で、僕と彼女とでは、MS-DOSリナックス程も能力に差がありました。傍目に見ても差は明らかでしたし、私の内部ではさらにその差が増幅されて感じられた。頼れる存在ではあったけれど、私の虚栄心は引き裂かれ、彼女と意識の面で対等に話が出来ない。すると、私の意識として、ジェンダーセクシュアリティといった物事に対して自分が常に偏った見方をもたず公正に考えられると信じていたその意識が実は全くの偽物であって、実際は心の中に男性優位を否定されることを頑なに拒もうとする部分があることを思い知らされ、さらに憂鬱になるのだった。それらの屈折した思いが自分を傷つけることを知っていたのか無意識なのか、ともかくわたしは花森さんという存在に対して思考停止をするようになった。

・花森さんとはこれ以前にも、本屋を辞めてから一度だけ、偶然に再会したことがあるのです。その時も、店は違えど彼女が売り手、私が客という立場でした。そんな、こちらが圧倒的に自由で有利な立場、会話の主導権をこちらが握っている状況であってすら、酷く居心地の悪い落ち着かない心地がする。かつて仕事中に彼女に対して抱いた畏敬の念と嫉妬と屈辱の入り混じった感情。


・彼女と私的な会話をすることで、忘れていた、いや、忘れた振りをしつづけてきた苦々しいものが、インク壜をひっくり返した時のように心の中に黒々と広がってゆく。それを拭い去りたくて、無意識に手足が緊張して硬くなるのを解きほぐしながら、話が私的領域に及ぶに至る前に、会話の流れを断ち切るようにして、ピンキーリングを物色している旨を伝えた。

・なるべくシンプルなものをと思って居たけれど、指環を一切したことのない私の指にはシルバーのリングはナットの様にしか見えなくて。滅入る気持ちをどうにかこらえつつ、それでもどうにか似合うものをと探す。その中で花森さんが見つけ出して呉れたものは、私にはカジュアル過ぎる気がしたけれど、それでも、ナットに見えるよりは良いかと思い「じゃあこれを貰うよ。」

・指の毛をもう少しちゃんと手入れしておけば良かったと悔いながらも、明日のパンを買う金を削ってまで何をしているんだろうという疑念を捩じ伏せながら、購入しました。いつも首から下げているロザリオのチェーンを、ついでだからと職人に洗浄してもらったし、ふと思い立って柄にもなく指環など探したからこそ会えたんだという「これも何かの縁だろう」という、諦念を誤魔化す窮極の呪文を唱えつつ、その場を立ち去りました。


・約束して居た友人と合流し、メシを食う。食いながら彼は私の指を見、ひとこと。「なにつけてんのそれ、百均で買ったん?」

・指環よりメリケンサックを買ったほうが良かったと思いました。

・ちなみにこういうかんじ