個性という擬制

 はてなダイアリのシステムはご承知の方も多いだろうが、日記のデザインを幾つかの既定のものの中から選んで使用するか、すべてのデザインを自作するか選ぶことが出来るようになっている。

 私には自力でデザインを設計できるようなWebの知識も無ければ、デザインセンスもない。したがって私は既に作られたお仕着せのデザインを使用するより他にない訳なのだが、それでも各部に小改造を施して既定のデザインとの間に差異を生ぜしめ、その差異の中にアイデンティティと自己の存在意義を見出そうと苦し紛れの逃げ道を探す。それは大多数の人間と同じ空間を共有することへの欲求と、同じ空間に居ながら他者とは明らかに異なった存在で居たいという一見矛盾した欲求を満たそうとする行為であり、孤独に対する怯えと、個性の埋没あるいは自己という存在がその他大勢の中の一つに還元されてゆくアトム化の過程を拒否する態度の同居に他ならない。

 そこではデザインの変更という行為はもはや本来の自己の内面の表現という意味を離れ、ただネットの上に構築された仮想の現実の中で自己を既定する為の行為であり、言うならばそれは現実の世界において自己と他者の区別のために「命名」という行為を行う以前の、同じヒトとしての格好をしていながら皮膚・髪・目の色や顔貌がそれぞれまったく異なっているために自ずと峻別される自他の分化に類するものに他ならない。