無言歌

・結局パニック発作はおさまったものの、いや、おさまりきらなかったからこそかもしれないが、腕を切ってしまった。
(以下、痛い描写が続くので、そういうのがダメな人は読まないほうがいいです。)


 デザインナイフの刃を新品に交換したので、とても良く切れた。予想以上に血が出てしまい、絨毯やパジャマを僅かばかり汚してしまった。それでも痛みは余り感じなかった。

 むしろ、血と共に、苦しみや、胸のうちのもやもやとしたものが一緒に流れ出すような気さえした。すっきりしたとは言わないが、ホッとするような安堵感がある。何世紀も前、医者は患者の悪い部分を切って、「悪い血」を出すことで患者を治療したという。それも故なからん事だったのかもしれない。

 そして傷口を優しく包み込んでくれる大判の傷当ては、まるで生きる痛み苦しみまで包み込んでくれるような安堵感を与えてくれる。

 しかし、今になって、じわじわと傷の痛みが感じられてくる。痛い。痛みは生の証しだとドストィエフスキイか誰かが言っていたけれど、この痛みは生きる痛み苦しみの直喩だ。痛い。そして切ってしまったことへの自己嫌悪。何というひどい悪循環だ。

 けれど、切る前まで猛烈に感じていた、何もかも放擲して現実から消え去ってしまいたいという気持、もっと言うなら、希死念慮あるいは自殺願望は、落ち着いた。とりあえず今晩自殺を図るような気持はなくなった。

 けれど私は、いつまでこんな事をし続けるのだろう。どうすれば、罪悪感や攻撃性を自己に向けずに生きて行けるのだろう。その答えを見つけ出すまで、身体は、精神はもつだろうか。