空気を読む 〜オーウェルと村上春樹の同床異夢〜

こんな顔で探した


◆SF好きの相方が見ていたハヤカワSF文庫のサイトを横から覗いていたら、オーウェルの『1984年』が新訳で出ているのを発見。さっそく本屋に買いに行く。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)


◆大学時代に読んだテキストや、いくつかの論文がこの本について触れていた。対テロ戦争以降のイギリス・アメリカにおけるファッショ的愛国傾向や、それらの国々における管理/監視社会化に対する警句として、オーウェルの『1984年』が引き合いに出されていたのです。

◆新訳ならさぞ読みやすかろうと、ジュンク堂で探すが、みつからない。ハヤカワSF文庫の棚の、「オ」の段にない。平積みもされていない。なぜだ。

◆ふとイヤな予感がして、遠くはなれた<新刊・話題書>のコーナーへ。村上春樹の『1Q84』を探す。あった。そして面置された村上の隣に堂々と鎮座するオーウェルの『1984年』。

◆「・・・・・・」


◆村上のは読んでません。しかしねえ。例えばwikipedia

(村上は)執筆の動機として、ジョージ・オーウェルの未来小説『1984年』を土台に、近い過去の小説を書きたいと以前から思っていたが −from wikipedia

って書いてあるけどさあ。どうなのよ。本当に『1Q84』と関係あるの? 関係あったとして、村上さんのを読んだらみんなオーウェルの『1984年』まで読みたくなると思ってるの?

◆きっとどっちも読んで損することなど何一つない優れた著作なんだろうと思います。けどね、なんでSFの棚に1冊でも残しておかないの? 本屋に来るSFファンはみんな村上春樹の作品について調べて知っていると? 何を根拠にそう思うのさ。



閑話休題



オーウェルの『1984年』の素晴らしさは、現代の政治状況をある部分で予見した所にある、というわけではないと思ってます。書かれた当時(1948年)の自由主義陣営がどういった空気に支配されていたのか、その片鱗をありありと嗅ぎ取れるところ。いうなれば、当時の空気を読むことが出来るところに素晴らしさがあるのではないか、と。

◆1941年にE.フロムが『自由からの逃走」を著して、大衆心理がいかにファシズム全体主義に傾きやすいかということを指摘したあの時代。

◆1944年にF.ハイエク『隷従への道』を著述し、一件別々の物に見えるファシズム社会主義の間に共通した部分があることを指摘して、つまるところ市場への政府の介入は経済に対する政治の優越であり、我々の自由を守るためには市場の自由を守らなくてはならない! 市場主義的自由主義万歳! シカゴ学派に栄光あれ! というあの時代*1

共産主義国家や左翼の政治運動、ドミノ理論に西側がおびえまくっていたあの時代の空気をありありと読み取ることが出来るところに、オーウェルの作品の素晴らしさがあるのだと思います。あの時代は怖かった。怖いといえば、あの時代をさも見てきたかのように語る僕も怖いですが、何より、オーウェルの『1984年』をまだ4分の1も読んでおらず、あまつさえフロムもハイエクもちゃんと読んだことがない*2のにこれだけしたり顔で長々と書いてしまう僕が一番怖いです。誰よりも一番。


村上春樹の作品も、書かれている時代の空気をもわもわと醸し出したり、当時を思い出させたりするようなものなんでしょうか*3オーウェルの次に挑戦したい。


隷従への道―全体主義と自由

隷従への道―全体主義と自由

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

*1:ノーベル経済学賞がやたらシカゴ学派のセンセイたちに与えられていたことと無関係ではないのではないかと勘ぐってみたり。 ちなみにノーベル経済学賞でググッたら、「賞金は日本では他の正規のノーベル賞は非課税であるが経済学賞は課税対象となっている」んですって。ビックリ。

*2:ハイエクの経済思想に関する解説書は二冊読みました。修論書くときに。書名も思い出せないけど。

*3:1984年当時、私は5歳。