監獄ロック

◆昨日の晩、唐突にも社会の真理について発見したような気になり、A-10神経が少しだけ高ぶりました。 でもよくよく考えると30年以上前にミシェル・フーコーが発見したことを再認識しただけであることに気づき、あっ……(´・ω・`)……ってなりました。


wikipedia‐ミシェル・フーコー 『監獄の誕生』

 この本は大学時代に立ち読みしたことはあります(重くて大変だった。)が、内容に関する知識はいくつかの解説本によって知ったというが本当のところ。

 私が考えたのはこういうことです。 以下、どうでも良いことを長々と。


 煙草は吸うな。酒に飲まれるな。適度に運動すべき。勤労義務を果たせ。空いた時間は読書やキャリアアップのためのスクーリングに当てろ。 行列を乱すな。時間は厳守。 空気を読め(日常の会話から、車両運転中の車の流れ、さらには金融取引の流れまで)。

 こういった社会的圧力はいつの時代にもあるけれど、これをおおよそ守るのがいわゆる普通の人だと思います。声を大にしてこれらに疑義を呈すると、割と袋叩きにあったります。


 一方刑務所では、煙草、酒は一切禁止。 体がなまらないように天突き運動などさせられたり、運動会もある。 刑務作業という勤労義務があり、メシも風呂も班ごとにきちっと列を作って行動。 もちろん時間厳守。 夕飯後の自由時間は大抵のものが読書にいそしみ、 社会復帰に備えたいくつかの資格取得課程がある(場合もある)。

 全ての規則を守らないと、懲罰房に入れられたり折檻(ホントは禁止)があったりします。


 では、社会と刑務所を隔てるものは何でしょう。 見張られ、しかられ、脅されながら、強制的にやらされるのが刑務所で、 圧力はあっても、実際には自発的にやってしまうのが社会じゃないか、と。
実際には自発的にそれらをやらないと様々な抵抗に会うのでそうせざるを得ない、半強制の面もぬぐえないとは思います。そういった意味で監獄は社会の縮図であり、自発的に規則に従えなかった人に規則を強制する施設が監獄なのだ、従うべき規則は塀の中も外も変わらないんじゃないか。そう思ったわけです。


 そんな思いつきも結局、フーコーの焼き直しでしかなかったんですが。
 

 そういや、このエントリを書くにあたって調べた中に、こんな記事がありました。
受刑者 独房入りたさに規律違反 青森刑務所で急増(毎日新聞)(from BBRの雑記帳さん)


 社会で引きこもりと呼ばれる人たちが増えていることと、多分同じ構図なんだろうなあと思います。 人とかかわるのって面倒くさいもん。 精神科を受診する社会人のストレス源のほとんどが対人関係だというのも聞いたことがありますし。


 あ、もうひとつ小さな違いが。最低限の衣食住に困らないのが刑務所で、うまいことやって行かないとそれらに困るのが社会か。

 それでも私は、アナーキーよりも監獄的社会の方が好きです。