残滓もしくは集大成

◆観てきました。スカイクロラ。結末部分を除いてはほぼ原作どおりのストーリー展開なのですが、観終わったあとの印象は原作とかなり異なるものでした。原作の最大の特徴であったあのシンプルな世界観を映画で維持するのは難しかったのかもしれません。その代わりに空戦シーンのスピード感は映画ならではのもので、とても楽しめました。エンジンをかけてから離陸するまでのシーンというのが何度も繰り返し描かれるのですが、そのたびに興奮してしまいました。飛行機最高。

以下、感想と不毛なあら捜しが続きます。長いお。

◆そして何といっても押井テイスト。執拗なまでに描きこまれた機械の細部。主人公カンナミとトキノが路面電車で夜の街を移動するシーンはどう観ても『アヴァロン』のワンシーンそのままです。その直後に出てくる人たちの語る言語はポーランド語だし、それらのシーンの後で草薙に、絶対に倒せない敵「ティーチャ」について語られると『アヴァロン』の「ビショップ」を思い出させずには居られません。

◆さらに草薙が戦争と平和について持論を語るシーンは『機動警察パトレイバー2 the Movie』の荒川の台詞と2重移しになってしまいます。そして何より草薙の姿が、偶然同じであるその名前もあいまって『攻殻機動隊』の草薙少佐を連想させますし、草薙のオフィスに置かれたオルゴールの動きと音色は『イノセンス』を思い起こさせます。その他、パイロットの酸素マスクの形が『紅い眼鏡』『地獄の番犬ケルベロス』『人狼』の特機隊員を連想される、というのは言い過ぎでしょうか。

◆その他にも、私の観ていない押井作品の欠片のようなものがあったのかもしれません。こういったものから、スカイクロラを過去の押井作品の残滓で構成された映画とみるか、それともこれまでの作品の集大成とみるか、意見は分かれるところだろうなあと思います。

◆一点だけ難点をあげるとすると、舞台がヨーロッパなのになぜパイロットたちだけが日本名で、見た目もアジア人なのかが謎。原作では舞台がどこの国かなんて記述は一切ないので、ここの整合性を埋める術がないと、いろいろと奇妙な点が残って見えてしまう。町の人はポーランド語で話す白人たちで、パイロットは日本語を話し、飛行中の会話は英語。TVのニュースはBBCで英語なのに、新聞は読売。でも町の人が読む新聞はDaily Yomiuri。 うーん。

◆でも、そんなことはどうでも良くなってしまうくらいに、空戦シーンがかっこいい。滑走路上に次々と並んでいく出撃機に夕日が当たって鈍く反射する様を望遠レンズで撮影したように描写するのはリドリー・スコット監督の良く用いる構図で、非常に格好よく見えます。まあ押井監督は、そういった戦争の表面的に格好よく見えがちな部分と実際の殺し合いの部分との対比を見せたかったのかもしれませんが、映画なのでやはり格好よいところしか印象に残りません。巨大爆撃機が今まさに爆撃を開始しようとして一個の殺人機械に変化してゆく機能美はもはや機械に対する偏愛の域です。思うに、草薙も殺人機械としての側面があったのかなあ。相方いわく「(イノセンスのイメージとかぶって)、もう草薙が義躰にしか見えない」。

◆さらに相方は「なんだか草薙が、次々と男を喰らう女郎蜘蛛みたいにみえた」と。ああ、ちゃんとストーリーを追って観ていると見え方が違うんですねえ。僕はもう飛行機しか見えていなかったのかもしれません。あるいは本編開始20分後くらいから襲ってきた尿意に耐えることに必至すぎて、僕は映画をちゃんと見ていなかったのかもしれません。

◆あと、レーダー基地で草薙を出迎えた男(本田)の声が大塚芳忠だったので吹いた。僕の中では完全に『マトリックス』のエージェントスミスの吹き替え。そして山極麦郎の声が麦人だったし、ササクラの声は榊原良子パトレイバーの南雲さんですね)。本作での数少ない「大人」の声は皆僕の大好きな声優ばかり。きっと大人独特のいやらしさのある声とかそんな理由で男性陣は選ばれたんじゃないかしら。

◆さらっと感想を書くつもりがとてつもなく長くなってしまった。しかも最初は「ティーチャ」がラカン精神分析学でいうところの「父の名」であり、その撃墜は草薙の「ファルスの欠如」をカンナミが埋めようとする行為であって、それはカンナミの草薙への「転移」に由来し、そういった一連のエディプスコンプレックスの克服過程こそがこの映画の本質である……みたいな話をしたかったのに。

 しかし誰が読むんだろこんなの。ここまで読んでくれた方がもしいらっしゃったら、ありがとうございます。お疲れ様でした。