身勝手

・最近めっきり寒くなって、吐く息が白い。

・小学生の頃、いや、中学に上がってさえ、私は吐く息が白くなるのが嬉しかった。「ゴジラ」などと言いながら目いっぱい息を吸い込んで、大きく口を開いて暖めた息を吐き、白い呼気が吐き出される様を喜んだものだった。

・いつの頃からだったろうか、そんな季節がもたらす些細な喜びをなんとも思わなくなり、やがては季節の変化そのものを憂うようになったのは。


・無論、小さい頃だって、夏の暑さは鬱陶しかったし、幾度と無く風邪をひいては冬の寒さを憂いたものだった。けれど、やがて気温や天候に快適さを求める心がどんどん強まり、いつしか、快適に過ごせることが当たり前であるかのように思うようになってしまった。そして望む快適さが得られないと、それだけで不平を言ってみたり怒りを感じたりするようになっていた。日常の小さな変化を喜ぶ繊細さを少しづつ失ってゆき、代わりに快適さを当然のものとして受け取る傲慢さだけを身につけてきた。そんな気がして。

・別にそんなことは普通なことで、とりたてて悲しんだりする必要はないのかも知れない。けれど、私はそんな傲慢さを身に付ける一方で、ある種の感情や空気に対しては歳を経るごとに過敏になり、頭を悩ませ、苦しんできた。そういった繊細さと、快適さを当然とする傲慢さが綯交ぜになって、ある種の衝動を喚起するようになった。勿論、酒に溺れていたときのことだ。

・「死」。全てを自らの選択した時点で終わらせ、その時点以上の苦しみを感じることも、想像したり憂いたりする事も無くなる安楽。そんなものを欲するようになって。これから先に乗り越えなくてはならない様々な困難や苦しみを、「どうせもうじき自ら死ぬのだから」という論理のもとに思考停止して、束の間の平穏を得る。


・酒を断ち、自助グループに繋がり、すこしづつ回復して、成長もし、そういった刹那的な考えはしなくなった。将来に憂いはあっても、希望も同時に抱いていけるようになった。「自分は成長した」。そう信じて疑わなかった。

・けれど昨日、不図した拍子に、そんな生き方に息苦しさと疲れを覚えた。かつてのように、自らの人生に極近い終着点を定め、其処までの間だけを享楽主義的に生き、其れが立ち行かなくなる前に、定めた時点で自らの命を断ち切る。そういった考え方をして居たときの気楽さを痛烈に思い出した。そして、「あのときの生き方に戻ってみたい」と、そう思ってしまったのだ。

・其れは一瞬のことだけれど、私に強烈な打撃を与えた。成長してその種の生き方とは完全に変われたと思っていたのが、実はコインの裏面のように常に私にへばり付いていて、何かの拍子に其れが容易にひっくり返ってしまう。その事実に慄然となってしまった。


・今はもう落ち着いて、ある種の「死への衝動」の様なものは無い。けれど。私は酒を断ち、色々やってはみたけれど本質的には何ら変わっていなかったのかも知れない。自己憐憫に取り付かれたり、まだ目の前に現れても居ない困難を予想して、その予感だけで萎縮して煩悶し身動きが取れなくなったりする。そんな、ただ酒を飲んでいないというだけで一年前と何一つ変わっていない私を垣間見て、非道く狼狽して惑乱してしまったのだ。


・今は、死にたくない。この世に生きて居たい。消え去ったりしたくは、無い。だけど。若しこの先、自分の人生がままならなくなるようなそんな事態に直面したときに、かつて飲んでいた頃と全く同じ反応をしてしまう可能性を見てしまった。今はただ、そういった瞬間に遭遇してしまうことが、怖い。