追記

・下にコメントを下さったぜくうさんは現実世界での友人で、したがって彼のブログや彼からもらうコメントに関しては上記のような妄想は抱いたことがなかった。けれど、私自身が、彼がパソコンに向かってブログやコメントを書いているところを見たことがあるわけではないので、上記のような妄想は抱きうる。私の中で現実の世界とweb上の世界の間には何らかの溝が横たわっているのだ。

・そういった疑いを抱くことは出来るけれど、結局私を含めた我々が生きていく上で、上述のような他者への疑念/妄想に対してどこかで目をつぶることは避けることが出来ないし、そうしなければ生きてはゆけないのだろう。

・蛇口をひねれば水が出る。けれど今出てきた水を浄化し水道管に送りこむ過程を常に監視することは出来ない。電車やバスの運転士の一挙一動を見張りながらそれらに乗る人間もまれだろう。我々の住む社会は、見えない、しかし我々自身の生活に直接的/間接的に関わる事象を操作する人間に対する、信頼/盲信無しには成立しないのは事実であろう。

・そのこと自体は疑うことが出来るにせよ、結局のところ我々が何らかの未知の部分を外に抱えて生きることは不可避なのだ。