アル中という十字架を背負って

・今日はホームのAA集会に出かける日です。他の日のAAは兎も角、水曜のAAだけはなんとか休まずに毎回顔を出すことを目標にしています。

・別にAAのおかげでお酒をやめて居られると言うほどのスピリチュアルなものを貰っている訳でもないし、逆に私自身、AAに対して何ら貢献などすることもありませんが、ただ一つだけ言えることがあります。


 AAにつながって断酒をするよりも、1人で断酒を続けていたときの方がはるかにしんどかった、という事です。


・今、私がホームのAAにだけは必ず出席することを心掛けるのも、断酒を続けているのも、AAの中に幾人かいる私の嫌いなタイプ、私が見下してしまうような人物に対して「負けたくない、いや、負けてたまるか」という意地のような憎しみのような気持からなのです。

・もちろんそんな動機では長続きはしないだろうし、第一、不純です。怒りや憎しみの感情は我々アルコール依存者にとっては最も危険で厳に謹むべき感情だということは良く知っています。この種の感情のコントロールが効かなくなるとスリップしやすいのは確かですし、また、この種の感情がアルコールに依存するこころに密接にかかわっていることも確かです。


・それでも、あえて言います。たったひとりで酒をやめていたときよりも、それが不純な動機に基づくものであれAAにつながることで誰かと共に酒をやめる方がはるかに気持が楽だということを。


・たった一人で断酒をしていたとき、世界はまるで灰色でした。いや、アルコールで彩られていた世界が無色に変わってしまったような気持ちでした。私の楽しみであり、快楽の全てであり心のただ一つの拠り所だった酒がなくなったことで、心の中にはポッカリと空洞があいたような気持ちで、ただ虚しく、寄る辺のない思いに呆然と立ち尽くす事もありました。

・そして一番しんどかったのは、この「アル中が酒をやめる」という事の苦しさを、誰も判ってくれないという孤独感、哀しさ、つらさでした。誰にも本質的な部分の苦しさや愚痴を言えないし、言っても理解などしてもらえない。

・でもAAの人達は黙って聞いてくれる。ときにはうなづいたり、会が終わってから「俺もそうだったよ」とか「話にとても共感できたよ」などと言ってくれる事もあった。アル中は、私ひとりではなかった、決して孤独じゃなかった。仲間とまでは行かないかもしれないけれど、自分の苦しさを同じように苦しんでいて、理解してくれる人達がいた。同じ十字架を背負った人達。1人で苦しむよりも、同じ苦しみを持つ者どうしで何かしら繋がって居るほうが、少しはましだと思えるのです。そう、思えるようになりました。