無限軌道

◆「何のために生きるか」というような、人生の意味を問う問いかけはよく耳にするし、実際ほとんどの人が一度は発するものだろう。だが多くの場合、答えは見つけられないまま問いかけることをやめてしまうか、手近に生きる目的を見つけてやり過ごすのではないか。(いずれにせよ問いかけた当人が納得さえすれば、どういった回答を提示しても良いのだけれど。)

◆生きる目的。生きる意味。今の私はまだ答えを見つけられないでいる。

◆何か生きる目標を見つけたとする。例えば、小説家になって歴史に残る名文を書く、とか、医師となって多くのひとの命を救う、など。

◆けれど、人生はそれで終わる訳ではない。人生には辿り着く先などないのだ。(ただし生命体としての終わりの「死」はある。)なにか目的を成し遂げることで、最終的な到達点に至ることが出来るかのように錯覚することが、実際どれほどの人間を惑わし、苦しめているだろう。

◆何か生きる目的を持つことで心の平安が得られるのではないか、そう思って、自分の生きる目的を探し、それを生きる意味にまで摩り替えようとする。心の平安を求めてあがくことが、かえって心の平安を遠ざける。

◆心の平安を得るために何か生きる目的を持つ。その目的が容易に達成できなかったり、達成を阻害されたりすることで、より心は乱され、苦しい思いをする。楽になろうとして、かえって苦しい思いをする。けれど、楽になって、心の平安を手に入れて、一体どうしようというのか。結局この種の意味論的な問いに回帰せざるを得なくなる。

◆より良い未来を築くため?次の世代のため?では我々の次の世代は我々のように苦しまずに平安を享受できるのか?次の世代はまた次の世代のために生きなければならなくなる。最終的に平安を手にする者は存在するのか?あと何十億年かすれば太陽の膨張する関係で地球が消滅するというのに?たとえその時に技術が発展していて、太陽系以外の場所で生きつづけたとしても、200億年もすれば宇宙そのものが熱的死を迎えるかビッグクランチしてしまうのに?それでもより良い未来のために生きることが意味ある行為なのか?

このサイトで述べられているような最後の希望、ワームホールをこじ開けて、若い宇宙へと「方舟」で逃げ延びることがかなうとする。では、そういった事を成し遂げることの出来る「科学技術」を持った生物(ここではとりあえず人間を想定する)のみに生きる意味があって、それ以外の生物、とりわけ、人間の生存に何らの影響も及ぼさない生物には生きる意味がないのか?生命の間に価値序列を設定することが出来るのか?出来るとすれば、何がその基準たり得るのか。

◆人生の意味、生きる目的について考えるつもりが、話しが逸れ出してしまった・・・考えがまとまったらまた続きを書きます。