B.R.D.の信号

■昨日、ふと思い立ってサイクリングに出かけてみた。ずっと部屋に篭りきりでは気が滅入ってしまうし、なまった体を少しは動かした方がいいだろう。表向きはそういった理由で出かけた。

■しかし本当は、酒屋にウィスキーを買いに行く心算りで出かけたのだ。最早我慢は限界に達しようとしているかに思えた。酒を買おう。それもウンと良いやつを。そんな風に思ったのだ。

■「ザ・グレンリヴェット」のフレンチ・オーク・カスクか、「ザ・マッカラン」の18年か。「ラフロイグ」のカスクストレングスもいい。コニャックでも良いかもしれない。マーテルのコルドンブルー。人生最後の酒だ。今までに飲んで美味しいと思った酒の中でも、とりわけ良いものを飲もう。そう思った。私の心は、もう既に飲んでいた。

■結果として、体を動かし、汗をかき心地好い疲労感に満たされて、アルコールに対する執着は頭から払拭されたかに思え、何も買う事無く快い足取りで帰宅した。


■だが、今に至って、アルコールに対して私の心は再び激しく渇きを訴え出した。アルコール以外の、どんな液体をもってしても癒せない種類の渇き。咽喉が、それにも増して頭が、心が渇く感覚。麦酒でも、純米酒でも、蒸留酒でも何でも良い。咽喉の渇きを潤し、精神を解きほぐし、心の空隙を埋めてくれるものならば。


■「どうして亡くなったんですか?」 「いやあ、好きな酒を飲みすぎましてねえ。」
 「ご愁傷様です」 「いやいや、好きな酒で死んだのですから、本人も本望でしょう」

 私が死んだあとで交わされる会話がこんなであれば、それでいいじゃあないか。酒を断って長生きするよりも、酒を飲んで燃え尽きる人生で良いじゃないか。アルコール漬けの体に、アルコールの混じった血。火葬にすれば、良く燃えることだろう。

■それは確かに不孝だ。それは心残りだ。私に心を許してくれた、数少ない友人は何と思うだろうか。快くは思うまい。だが、世の中、いいヤツばかりじゃない。私が、最後に皆を裏切って悪人になったとしても、それが一体なんであろうか。この世に聖人君子などいないのだから。

「私が使徒パウロだったとしても、同じことでしょう。せっかくのその生涯もやはり無駄にしていたに違いありません。ご覧のように、今私が自分の生涯を無駄にしているようにね。」


  R.L.スティーヴンスン/海保眞夫訳 『バラントレーの若殿』 岩波書店