心のかたち 人のかたち

文体は精神のもつ顔つきである。それは肉体に備わる顔つき以上に、間違いようのない確かなものである。


  ショーペンハウアー『読書について』 岩波文庫


 私が此のblogで用いる文体は、常体と敬体が入り混じったり、敬称を付けたり略したりと、兎角統一性がない。これは筆者の気まぐれから来るものであって、他意はない。しかし、その文体から筆者の心情がある程度読み取れるのは確かである。
 敬体は読ませる為の文章であり、いささか作為的な印象が拭えない。だが、読ませる為の文章を書くということは、それだけ精神に余裕のある顕れであろう。
 常体を用いる時は大抵、内的な心情を吐露するような場合なので、余裕がなくひっ迫した内容や文体になって居ることが多いように思う。その分、内容に嘘偽りはなく、素直に書かれているともいえるだろう。