闇の奥

 ここ2日間ひどく塞ぎ込んでしまって、医者どころか食事も余り満足に採れない状態。一方で治療の効果が出て来たのか、アルコールに対する餓え方がある程度落ち着いたような気がする。

 そこで、塞ぎ込んだ気分に更に追い討ちをかけてみようと思い、先日録画した映画『自転車泥棒自転車泥棒 [DVD]を観賞することにした。

 …結果、予想以上に落ち込むことに(笑)。貧しさと、人間らしい暖かみを忘れ去ったかのような人々。何という醜悪な構図だろうか。この映画を観ていて、梅崎春生の小説『麺麭の話』を思い出した。時代背景を同じくする、戦後の食糧難の時代。貧しさと将来への絶望に取り付かれ、非情になって行く人々。そういった醜い構図を、ヴィットリオ・デ・シーカは自転車に、梅崎はパンに凝集して表現したのではないだろうか。

 『自転車泥棒』で主人公リッチは、ようやくありついた仕事の道具である自転車を盗まれ、それは結果として見つからずに終わる。しかし、自転車を盗まれたがゆえにリッチは不幸になったのだろうか。例えそうでなかったとしても、彼を取り巻く状況は非情であっただろうし、彼がいくばくかの収入を得るようになったとしても、職安には相変わらず人が溢れ、レストランで食事を取る金持ちの坊やはそんなことは鼻にもかけずにデザートを頬張り続けただろう。

 リッチは自転車を盗まれて、ようやく彼が、彼を取り巻く状況が、救いようの無い悲惨なものであることに気付かされたのだ。私にはそう思えてならない。