せめて、人間らしく

 病院にて。
 名前を呼ばれたので点滴室に入ると、4つあるベッドの内三つが既に埋まっていた。1番奥に寝ているのは以前見た若い女で、隣が始めて見る初老の女。その隣が、見覚えのあるようなないような若い女だった。私はその女の隣のベッドに寝かされ、しばしの問診の後に点滴を受ける。この部屋に寝て点滴を受けている人間は皆、アル中なのだ。私以外の3人は皆、ここでの顔見知りらしく、ぽつぽつと何やら話をしている。横並びのベッドで点滴を受けながらなので、自然、会話は隣同士の二人一組で行われるようになる。私はある種のやりきれない感じと、対人不安を感じながらも、隣の女と話をせざるを得なくなった。が、少し話してみると、その女がおしゃべりな性質だった為に、相槌を打つ程度で済んだのであまり苦労はなかった。

 しかし話を聞くうちに、私以外の三人は、抗酒剤「シアナマイド」を服用している事がわかった。それも自宅で自らの意志で服用しているという。私はシアナマイドが恐ろしいので医師に頼み込んで投与しないでもらっている。しかし、それでよかったという事を教えられる。

 シアナマイドを服用していると、ウィスキーボンボンのような菓子は勿論だが、奈良漬けやみりんを使った料理、果てはある種のケーキ類まで食べられなくなるのだという。現にひとりはケーキを食べて作用が出、急救車で運ばれた事があるらしい。

 いくら酒を止める為とはいえ、奈良漬まで食べられなくするなどというのはいささかナンセンスな気がする。酒を止める為に、人間らしい食事すらままならなくなって、一体なんの為の断酒なのか。そうまでしなくては止められないのか。そうまでしないと生きて行けないのか。地の底にまで落ちこんで行くような、果てしのない虚脱感にとらわれて行くのがわかった。
 

 三人はそれぞれ点滴を終えて先に帰っていった。ひとり残って点滴を受けながら、様々な事が頭をよぎる。そんなにまで我慢を続けたところで、いつかはパンクするに決まっている。酒を飲む気になれば、シアナマイドの服用を止めさえすれば、また元のように飲めるようになるのだ。結局断酒は自己の意志にかかってくる。その意志決定に重要な役割を果たすのが環境だ。その環境がおよそ人間らしくもないようなものだったら、意志など簡単にくじかれてしまうだろう。