本日の相方

                              ハ_ハ
                           ハ_ハ   ('(゚∀゚∩ イブだぜイヤッホー!
                  ハ_ハ   ('(゚∀゚ )   ヽ  〈
                  ('(゚∀゚ )  ヽ   ⊃   ヽヽ_)
          ∩ ハ_ハ ヽ   ⊃   ヽ と)
           ',(゚∀゚ )  ヽ と)    ヽ)
           ヽ   ⊃   ヽ)
       ∩ ∧∧  ヽ と)
      ',( ゚∀゚ )  ヽ)
  _, -ー´\と |_
  \____)-┘ \
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 今も横で白河夜船。ケーキもまだ食べていない。
 まあ朝4時過ぎに眠って8時過ぎに早朝(?)覚醒し、そのまま起き続けて家賃振込みやら市役所やらかかりつけの病院をハシゴして、あげく重たい食料品を買い込んで帰ってきたあとだから当たり前の話。せめて荷物くらいは私が重いものを持つようにしてるんですが、心の重荷までは肩代わりできないので、せめてもと笑いの提供に心血を注いで居る感じ。

 今晩はサンタさんに「私に、もっともっと太くてゴツイ骨と筋肉をください」とお願いして眠ります。 ああ、クリスマスだから、街に出れば「マッチョ売りの少女」がいるかも。wktk


 クリスマスついでにアブラハムの宗教ネタで締めます。長く、つまらないので畳みます。スルーして皆さんのクリスマスの夜を楽しんだほうが価値があると思いますよ! Have a nice time!

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)
http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm

この祈りについては上記リンク先で詳細が記されています。わたしはこの祈りをAA(アルコホーリクス・アノニマス)で3年以上前に知りました。その当時はこの祈りの意味するところがあまり解りませんでしたが、今でははっきりと解ります。 神がどうこうという以前に、物事を「受け入れる」ということが、次の一手の判断を誤らないために至極重要なのです。

 以前2chの何かのスレで、「いろんなことにクレームをつけてくる客に最初はビビってたけど、ちょっとしたイノシシだと思えば大して怖くないと気づいた」みたいなことを書いていたスーパーの店員の書き込みを読んだことがあります。(『シーシュポスの神話』のような)カミュ的認識論に逃げるわけではありません。怒りとか恐怖といった感情に振り回されないように、事実をありのままに受け入れて、判断する。そこが大事で、でも難しくて、だからこそそうしようと努力するところが大切なのだと思うのです。コップにはいっている水は「半分しかない」のでも「まだ半分ある」のでもなく、「半分入っている」のです。

 上記店員の例でいえば、理不尽に怒るでもなく、クレーマーにおびえるのでもない。ただ、そのままでは受け入れがたいので、イノシシとして受け入れてみたらうまくいった。そんな感じではないでしょうか。

 言っていることが色々と矛盾しているように思えるかもしれません。しかし、自分で変えられないものは、とりあえず受け入れてしまう。これが実際に出来たときの感覚としては、上に書いたことは決して矛盾したものとして感じません。

 何でもかんでも自分の思い通りの方向に変えてしまおうとしてもムリな話だし、余計な事でいらいらしたりするよりは受け入れてしまったほうが結果的に楽です。簡単にそう出来ないこともありますが、やろうとすることが大切です。筋トレ然り。精神的なフラストレーションなら、ヘトヘトなるまで体を動かすのが一番手っ取り早い解消法です。

 何処かで読んだ話ですが、出かけて友人と会うのは面倒くさいし、風呂も入るまではやはり面倒くさい。でも、重い腰をあげて友人に会えばやはり楽しいし、風呂も入ったらスッキリする。入って後悔する風呂はない。だからもう、面倒なことは修行だと思ってやってしまう。やってみてやはり後悔しても、修行なので苦しくて当たり前だと受け入れられる。お風呂が面倒くさい人は、修行だと思って入ると良いです。ちょっと水ごりっぽいですし。なんていうのがありました。

 ホントのことを言うと、私はいつも、筋トレはイヤイヤやっているのです。でもやり始めるとスッキリして気持ちよいし、あとで成果が実感できれば素直にうれしい。だからもう、修行だと思ってでもやるのです。なんだか武僧みたいな気分になること請け合い。