五萬HIT記念?

・明日のカウンセリングで提出する報告書から一部抜粋して掲載します。全部を掲載しないのは幾人かの個人名や行いが出てくる部分をカットしたからです。

・長くて暗くて鬱陶しいので興味のない方は読まないほうが良いと思います。読んで気分が悪くなっても当方は一切の責任を負いかねます。


【詳細】

・何故私は死ねなかったのだろう。酒に耽溺しながら、「死んでもかまわない」「酒をやめるくらいなら死んだほうがマシだ」などとうそぶいていた私は、何故か酒を断ち、生きることを自ら選び取った。何故か。今でもそれは分からない。

・ただ、今でも死への妄想を抱くことはしばしばある。生きてゆくために乗り越えなくてはならない苦しみや辛さの全てから解放されたいという願い。そして、飲酒以前から抱いていた破滅願望。それらは、苦しい現実から目をそらして夢を観続ける行為に他ならない。


・外出までに要する時間。起床から外出まで2時間以上かかる。起床時の、憂鬱な、大袈裟に言えば半ば絶望的な気持。食欲もなく、外出に対する微かな恐れと、家を出てからの行動スケジュールの組み立てに頭を使いながらのろのろと身支度をする。決して機敏に動けない。そして何度も確認しないと必ず何か忘れ物をする。

・いつの頃からそうなったのだろう。大学生になってからのことかもしれない。最初は些細なことから、雪が深々と降り積もるように少しづつ、外出することに対する心理的な負担が増えて行ったように思う。そして外出までにかかる時間は漸増し、手荷物も増えて行った。

・高校までは徒歩あるいは自転車で通学でき、学校内に自分のロッカーが在ったこと。それが大学でいきなり遠隔地への通学となり、しかも学校に荷物を置いておくことが出来なくなった。それが大きな発端になったのではないか。

【所感】

・カバンに詰め込む過剰な装備。それは重くわずらわしいけれど、時に非常に便利ではある。少なくとも不便を感じたことはない。それを、軽装備で少々の不便を感じても何とか乗り切れる、あるいはやり過ごせるようになれば、 ――少なくともその自信をつければ―― 荷物は減らせるだろう。


・そもそも存在に意味(「何のために」という問いへの答え)があるという前提は、何か間違った信仰に基づいているのではないか。


・今の私自身の気持が判らない。生きたいのか死にたいのか。目標も、夢もない。ときに風邪をひいたり胃腸を悪くしたり、皮膚炎になったり耳鳴りを患ったりと、小さな、けれど十分な苦しみは常にやって来る。飲酒欲求もときに無くなり時に湧き起こる。その繰り返し。そしてそれらの小さな躓きが、少しづつ私から生きる気力や希望を簒奪してゆく。私の生きる気力は、生きるためには少なすぎ、死ぬには多すぎるのかも知れない。

以上