スピノザは全著作において、三種類の人物を告発する。悲しみに囚われる人間。悲しみを利用して稼いで権力を固める人間。人間の状況と人間の情念を悲しむ人間。」


  小泉義之ドゥルーズの哲学』講談社現代新書 p.141

 「それで、そんなにカバンが膨れているんだ。」

 天願氏が私のカバンをしげしげと見つめていった。私はぬるくなったコーヒーをすすりながら、

「ああ、そうだよ。でも、だからといって、別に震災10周年とかそういうことじゃないんだ。お涙頂戴の震災ものなんか見ないしね。何度も同じ映像を垂れ流して、揚句、人の不幸でメシを食うなんていい趣味じゃないと思ってるしね。」

と答えた。

スピノザ?」
「いや、別にそういうつもりじゃないんだ。ただね・・・」
「ただ?」
「今こうして俺が煙草を吹かしている間にも、5秒に1人の割合で誰かが餓死してるんだよね。疫病とかじゃなくって、だよ。」
「神戸だけが不幸じゃない、って言いたいわけ?」
「いや。そうじゃなくてさ。例えば日本で1年間に残飯として処分される食糧の量ってのが、1年間に世界中で配られてる援助食糧の2倍よりも多いんだよ。岡真理なんかが、『9・11は世界中から顧みられても、ガザ地区やタッタ・ザアタルの虐殺は報じられない』なんて言ってるでしょ?俺の言いたいのはそういうことでさ。」
「言いたいことは解るよ。」

 煙草をもみ消しながら、私は畳み掛けるように言葉をついだ。

「その成果だけはしっかり受け取っておきながら、南北格差、わけても経済のグローバル化がもたらす公共財の分配の不均衡をテレビの向こう側に押しこめて、気付かない振りをしつづける。そんな人間が、やれ中越地震やらアジアの大津波やらにいくら寄付したとか言って、善人であるかのように振舞う。それがまったくの偽善であることに気付こうとすらしないで。そんな人間に限って言うんだ。個性を大切にしろとか、命の一つ一つが掛け替えのないものなんだ、とか。一方で人権の普遍性なんかをを信じて疑わず、しかも同時に個体化の原理を極限まで推し進めようとする。そんな欺瞞がいつまでも続くもんか。」