虚像

 私の部屋に置いてある手鏡は、端が大きく欠け、ひびが入っている。落としたりぶつけたりした訳ではない。私が故意に傷つけたのだ。

 あれはアルコール依存が深刻になりだした、九月も半ばのことだったと思う。その晩も私は、ウィスキーのボトルを枕もとに置きながら、ひとり深夜の酒宴を愉しんでいた。いや、愉しんでいると思いこむ為に酒を飲んでいた。八月中にまとめる筈だった修士論文の構想が全く進まず、昼間は構想をまとめる為に頭を柔らかくする名目で酒を飲み、夜は自分の無力さ、不甲斐なさを忘れる為に酒を飲んだ。

 こうして一日を無為のままに過ごすことが良くない事だということは、私自身が一番良く判っていた。だからこそ、そのことを忘れるために酩酊が必要だったのだ。あの頃私は、確かに自分を憎み、嫌っていた。その憎い自分を殺すつもりで飲んでいたのか、自分をいたわりたくて飲んでいたのか、今でもそれは判らない。ただ、何も判らなくなるまで酔わないと気が済まなかった。

 そうして随分酔った時だった。ふと横を見ると手鏡が私の顔を映していた。頬が微かに紅潮し、眼は血走っていた。その顔を見たとき、私は鏡の中の自分を烈しく憎悪した。吐きたいような、自分を虐げたい気持が強く私をを捉えた。もはや白黒もわかたぬ程に酔い、ふら付きながら手鏡を取り上げた私は、それを思いきりの力をこめて、噛んだのだ。手鏡は小さな音を立てて割れ、破片が散らばった。私はしばらく荒い息をつきながら破片を見つめていたが、やがて我に返ると飛び散った破片をガムテープで集めて捨てる作業に没頭した。


 今もその欠けた手鏡を見るたびに、あの時の愚かな自分を思い返す。鏡の中の虚像を憎んでみたところで何も変わることなどないのに。いや、自分自身を憎んでみたところでそれは同じだ。だが私は、その愚かしいことをいくつも積み重ねして今日まで生きてきた。それは愚かなことかもしれない、しかし、私には自分自身を能天気に愛することなど出来ないのだ。それが生来の気質か、これまで生きてきた中で身につけてきたものの積み重ねなのかは判らない。いずれにせよ、私はこれからも自分を嫌い、憎み続けてゆくだろう。