意識が朦朧としてきた。

 ↓下の「雑感」は、もう少し、哲学的省察にまで飛び出して見ると面白い。

 例えば、アル中気味の人なら一度は経験しているであろう、ブラックアウト。飲んだ翌朝、前日の記憶が一部思い出せないというやつ、アレを使って哲学してみる。

 飲み始めてから記憶を失うまでの間。あれは確かに「私」が酒を飲んでいる。これは疑いようがない。

 そして、目覚めて慌てて昨晩の記憶を手繰り寄せようと益のない努力をする「私」。これは今の私で、これも疑いようがない。

 では、その間の、全く私が記憶していない間の「私」は、本当に私なのだろうか。ひょっとすると記憶がないのは、2重人格の別の人格が私の体を乗っ取って、「私」の振りをして居ただけだった、そんな可能性はないだろうか。とすると、外から見たら私の形をしている人間でも、内的なものが「私」でなければ、それは別人なのだろうか。

 別の例で考えてみよう

 重大な事故か疾患で、身体の大部分を義足や義手のようなもの(漫画『攻殻機動隊』の言葉を使えば「義体」)にとって変えたとしたら、その身体は「私」だろうか。

 いや、この設問は拙い。(今よりも医療技術が発達したと仮定して、)体の大部分を別の人間のものと移植して取り替えたとしたら、その身体は、「私」だろうか。それとも、「私」が別の人間の身体を用いているというだけなのか。

 (こんな愚問に)簡単に答えは出るはずもないが、時にはこんなことを考えてみるのも面白いのではなかろうか。