Pathetique

 不安発作が鎮まると今度は抑鬱感が顕れてまたもやエンドレス苦痛。ワイパックス0.5mg錠を舌下投与。そしていつもの如く眠気がやってきた。こうやって薬物による酩酊にも似た眠気によって意識を混濁させ、生きる辛さを紛らわし、眠りという擬似の死によってのみ安息を得る。是を逃避と言わずして何と言う。

 心理学者メニンジャーは、アルコール依存の状態を「慢性的自殺」と称した。アルコールに逃避した経験のある人間ならば、この言葉を聞いて何か感じるところがあるはずだ。私も何度酩酊の果てに思い至ったことだろう。「もう、このまま死んでも、それはそれで構わない」と。

 今、その「慢性的自殺」から脱しようと試みてはいるものの、それを求める「私」自身は何ら変わっていないのだから、別のかたちでの希死念慮の解消方法を探索するのはごく自然な成り行きではあるまいか。

 結局、アルコール依存症が完治したとしても、それは「私」が別の人間になってしまうことではないのだ。人は変わって行くなどと言うけれど、その変化の基体となる「私」はそのまま存在しつづけるのであって、もしその「私」そのものに原因があって依存を引き起こして来たのならば、アルコール依存から抜け出しても、また新たな何かに依存する事は充分に考え得る事だし、相変わらず生きることを苦痛に感じつづけることだろう。