Alle Menschen mussen sterben.

 矢張り皆、おかしいのだ。皆が気付かぬ振りをし続けているだけではないのか。運命に盲目的に見逃されている間だけしか幸福などというものはなくて、それはダモクレスの剣のようなものなのではないのか。運命にひとたび目を付けられたが最後、あらゆる物が簒奪されてしまう。それは工事現場の鉄骨として落下して来るかもしてないし、通り魔の兇刃として向かってくるかもしれない。或は原子力事故の不可視の放射線として突き刺さってくるかもしれない。因果関係が立証されずに、自然死として片付けられるのかもしれない。
 「生きている」ということが、実はとても不安定な事なのだ。独楽か自転車の様に、止まったり倒れたりしないように常に回転し続けなければならない、そんな状態なのだ。「死」という安定に向かいながら、しかもそれを避けるように努めて廻り続けなくてはならない存在なのだ。皆がそれに気付かぬ振りをしつづける。しかし日本だけでも年間に三万人もがそれに気づいてしまっているのだ。交通事故の死者が年間一万人を割り、日清戦争の死者が一万と少し。しかし1年でその3倍近い数の人間が「気付いて」しまったために自ら命を絶っている。ただ取り返しがつかないというだけで命は宝だというけれど、もし是が取り返しのつくような物であったなら、これほど厭わしいものもないだろう。