希望のない明日へ

■とあるサイトより
・・・・・・自殺する奴が強いなんて思わん。弱いとも思わん。
でも其処で何もかも終わってしまう。その後の人生のそこかしこにちりばめられてる可能性の種を紡ぎとって、あとに残される人達の悲しみや苦しみを放置して何もかも置いて逝ってしまう。
それのどこが格好良いんだ。
先立たれる悲しみがどれだけ辛くて、自分に何かできなかったか、もしあのときこうしていれば・・・と自己嫌悪にさいなまれ泣いても泣いても涙が止まらない事実があるというのに。
もう6年も経つというのにいまだにその事がフラッシュバックして自分を責めてしまう・・・・・・

■私は決して自殺を格好の良いものだなどとは思わない。けれども。事実として遺された者の心情は斯くあるのだろう。嗚呼、悲しむ事勿れ。私が全ての苦痛から解放されて楽になったのだと、寧ろ喜んで欲しい。

■可能性。それを一つ一つ潰していくのが私の人生だった。持っていた幾つもの可能性がひとつ、ひとつ、潰されたり、消え去ったりしていって、生きることそれ自体が空しくすらなってきて。残されたのは破滅の選択肢。転落の詩。

■ある者は卑怯者と言うだろう。逃げるな、闘えと。脱走者、逃亡者。敵前逃亡。全てを投げ出し、無責任に旅立って、あとに苦しみと悲しみを遺していったと。

■だがある者は生きているこの私に言う。無能だと。社会不適格だと。仕事が出来ない、遅い、要領が悪い、運動神経ゼロ、学習能力なし。実社会にも学問の世界にもまるで通用しない無能の輩。適切な気配りさえできないと。朝起き出して現実に立ち向かってゆくことに堪えられなくて、段々朝に弱くなって行く私に向かって次々に非難の声が浴びせられるのが聞こえる。
 軟弱者! 逃げるな! 闘え!
 こんな事も出来ないの? 
 使えねーヤツ!
 そんな非難の声が突き刺さってきて。怖くて。現実に立ち向かえなくて。自分の無能さを見せ付けられる事にこれ以上堪えられなくて。

■生きていても死んでしまっても非難されるのならば、死んでしまったほうが非難の声を聞かずにすむ。死者は如何に冒涜されようともその声は聞こえない。其の身体が海の底深く朽ち果てていこうと、魚についばまれようと、荒地で風化して行こうとも、死者はその様なことを全く気にしない。

■できる事なら今夜にでも旅立ってしまいたい。ただひたすら塞ぎ込み、罪悪感に苛まれ、苛立ちと鬱屈した気持が交互に襲ってくる。其れでも空腹を感じ、食事をしてしまう自分が恥かしく、罪悪感に襲われる。満腹感と言う罪悪。生きたくても食べるものすらなく空しく死んでいく命がこの地球(ほし)には溢れているというのに。